tractatus

思考の垂れ流し

非日常を求めて

 その日のでゅてぃーに追われる中、非日常に浸りたいと思うことがある。やるべきことから逃れ、非日常の世界へ連れ出してほしいと誰に宛てるでもなく口にすることがある。
 
 知見の広がりというのはとても貴重なファクターで、人生の豊かさの観点から見ると小中高大での束縛的な勉学よりも遥かに、吸収され得るものを多分に含んでいるのだろうと思う。無論"愉しむ"ためには最低限の知識が必要となってくるわけだが、それもまた幼少期からの"非日常"の積み重ねにより自然と備わってゆく事項なのかもしれない。
 
 非日常に身を置くためには時間と金がかかる。自分が大人となれるかどうか怪しいが、仮にクリアできたとして、今度は十分な時間が残されていない状態にあるかもしれない。寿命が尽きそうになり、自由に身体を動かせなくなる、そんな時期がやってくる前に色々経験しておきたい。時間は待ってくれないからこそ自分から取りに行く姿勢を維持したい。
 
 人はなぜ非日常を求め続けるのか、この答を見つけられる日がありますように。