tractatus

思考の垂れ流し

天使と悪魔

 己の内部に秘めた陰と陽。最近は陰の割合が知らず知らずのうちに多くなってきているように思う。
ちょっとした生活の乱れが体調不良へと繋がってしまう。前はそんなことこれっぽっちも有りやしなかったのに。鬼の霍乱、かしら。


 
 心の安寧を図り、何から何まで披瀝したなら少しは改善するだろうか。いいや、リスクが大き過ぎる。何せ世の中欺瞞だらけなのだから。総て曝け出したところでどこをどう弄られこねくり回されるのか見当がつかない。そんなもの沈着冷静に一瞥くれてやればいいって?そうしたら内なる陰が更に増幅して眞正の悪魔になってしまいそう。
結局は暗澹たる気持ちで、憮然として溜め息をつくのがオチだと思うのよ、悲観的なのはわかっているつもり、少なくとも頭では。

 
 そんなこんなで気散じに散歩をすることを薬としているこの頃。初夏の夕暮れ時に見晴らしの良い場所で感じる風は、心の澱を洗い流し五臓六腑をも心地良くしてくれるほど爽快である。風によって余計なものが取り除かれ、自身の抱え持つ明暗が可視化されたとき、それぞれの営みや関わり合いを垣間見ることができる。
大仰だと云われそうだが、これで何とか統制を取れているのだから是非とも習慣にしたい。

 
 
 道標がないなら自分で作ればいい。内なる天使の中に悪魔を見、悪魔の中に天使を見る。自分の傷を自らの手で深くし覗き込むようなこの行為が、騙し絵を探索する楽しみのように心身に働きかけ、健全な精神が緩やかに回帰することを強く望む。