tractatus

思考の垂れ流し

こたえ

 人間は考えずにはいられない生き物である.たとえどんなにつまらない事であっても,正解のない問であっても,思考する.思いを巡らせてみてはああだこうだと好き勝手に論考するのである.誰に咎められるでもなく意見を持てるのだから,幸せなことだなあと思う.
 

 一方,これを束縛と捉えることも可能だろう.まるでコインのような,表裏一体の関係にあるのが生と思考なのだから.人間がそれから解放されようと試みるとは,脳細胞の働きを完全に抑え込もうとするとは,つまり死を意味する.
そういう生きるか死ぬかの極論の世界で,多くの人は無意識に生を選ぶ.人間は考える生き物だと,そう思うに十分な"思考"を通じて.


 考えることは学問の核であるらしい.学問するための基本的な手段として思考以外のものが思い浮かばないので,多分そうなのだろう.
では何のために学問をするのか.
それはきっと専門性の枠を取り払った中での最も根源的な問──幸せとは何か,霊は存在するのか,死後の世界は本当にあるのか──などに行方の知れない,在るかもわからない答えを与えるためにある.難しい問題に立ち向かうための論考なのでしょう.少なくともわたしはそう考えている.
だからこそ,考えることを悲しい人間の性だと見做すこともできるし,行く先に答えがあると,長い目でみれば人類の幸福に寄与できることだとも言える.



人間は生きるために考えるのか,それとも考えるために生きるのか──



 10円玉の表と裏,どちらに重きを置くべきかと問う質問のような気がしてぐぬぬぬと唸ってしまいそうだが,それこそ自身が出した答えの論拠など無限にありそうで,つくづく思考実験は愉しいものだなと思わされるのであった.