tractatus

思考の垂れ流し

過渡期

すべてが歪んで見えた。補正をかけようとしても一向にかかる気配がないから焦った。身体が動かなくなってからじゃ遅いから急いで教室をあとにした。ついこの間のこと。


あれもこれもさらけ出されてすべてを如実に解釈できる世界なら楽だろうなと思う。だけど人間の性質上そんなものは存在できるはずもないし、そもそもそんな世界は怖いしつまらないだろうからあってほしくない。あってほしくはないけど、ここまで欺瞞に塗れた汚い世界じゃなくたっていいでしょ?真っ白も嫌だけど真っ黒はもっと嫌、何も見えない。
真実が隠されてるのと真実に悪意に満ちた虚構が混ざってるのとでは大きく違う。くるしまずに生きるには自分のフィルターをある程度黒に染めなきゃいけない。これまで怠けてきた分も黒く染めないといけない。時間をかけてゆっくり、灰色を経て黒にするべきところを、白紙に一気に黒をぶちまけたんじゃそりゃついていけないね、見通せなかった自分のせい。



レンズは少し曇ってるくらいがちょうどいい。自身に対する欺瞞は必ずしも悪ではない。自分の目を自分でごまかすことが下手くそなのに高い解像度で世界を見つめて、それでいて何もできないから毎度深い虚無におそわれる。見たくないものもそのまんま見るのが解釈を与える上で一番いい方法だと思って生きてきたけど、そろそろ見方を変えるなり自身に色をつけるなりしないとついていけなくて終止符を打つしかなくなる。
精神の死への傾倒は肉体の死への傾倒を招くからよくない、いつだって隣合わせの死にそんなに憧れてるわけじゃない。それでも現状を打開する策を見つけられてないから生きることがくるしくなる。死なない程度に云々とはそういうこと。



今更かなしいと叫ぶにはあまりにすべてが遅すぎたかな、そうじゃないと信じて無色透明なまま、まあこんなもんかなってある程度妥協して現実と向き合えるようになれたら。



最適なピクセル数はいくつだ?