tractatus

思考の垂れ流し

よき思念を、優しさを

健全な精神が緩やかに回帰するように、と願う。
いつ何時も身近なしあわせに気付けるくらいの心の余裕をもって生活したい、と思う。


耐え難い不安と精神的苦痛、出処不明の悲愴感に苛まれながらすぐそこまで迫っている限界とにらめっこしている、つもりだった。実際はもうとっくのとうに限界の域に足を踏み入れていて、自分の状態も正確に把握できていないのに解決を急いでは多少の回復を得、すぐにまた元通りといった具合にネガとポジのイタチごっこを繰り返していた。情緒不安定である。
何が嫌だとか何が苦しいだとかそういう具体性のある事柄に悩む段階は過ぎていて、そもそも何を苦としているのか、何を懸念しているのか、問題の所在があまり明らかではない。これまでの苦悩の蓄積が漠然とした不安感や徒労感となって限界を引き連れてやってきた。

倫理と不条理の間に幾度となく最適解を探してきた。毎日いろんな色に染まって、それでいて自分自身は無色透明なまま、まあこんなもんかなって割り切りつつ見つけた最適解にピントを合わせてお話する。それでもやっぱりまだ、黒の混じった最適解にも簡単に順応してしまう自分が嫌でたまらない。どうしたってこういう汚い感情と決別できないのか、くるしい。
受容し受容されが良しとされるはずの世界で、欺瞞や悪意に曝される場面があまりにも多い。非現実的な理想論を唱えてもそれは綺麗事に過ぎないけれど、現実に基づいた理想論は誰しもが持って然るべきものだと思う。わたしが苦しさを覚えたままでもいいから、それでも他の誰かには苦しんで欲しくない。だからせめて、誰かがわたしと関わっている間は相手にとって自分が優しい存在でありたいと願って接し続けている。


迎える明日が今日より少しでも優しくありますように。